天津 「木遣り唄」(きありうた)を考えてみる

天津の祭りでは、大神輿を担ぎながら 「木遣り」(きあり)を詠います。
子供のころから聞き慣れた詩なんです。     



ここ数年、 「木遣り」(きあり)のいろんな歌詞にすごく興味が湧き調べてみました。
これも子供が産まれてからなんですが、一番好きな詩は
「旦那大黒 女将は恵比寿 できたこどもが 福の神」です。
なんか、こどもが宝物のような詩ではありませんか?
神輿を担ぎながら粋な詩だなあと思いました。


さてさて、まず「木遣り」(きあり)とはなんぞや?ということです。

ウィキペディアでは・・・
木遣、木遣り(きやり)は、労働歌の一つ。1202年(建仁2年)に栄西上人が重いものを引き揚げる時に掛けさせた掛け声が起こりだとされる事がある。掛け声が時代の流れにより歌へ変化し、江戸鳶がだんだん数を増やした江戸風を広めていった。
とあります。

色々調べてみると、色んな地域で「木遣り」(きあり)の文化がありました。
例えば「小田原担ぎ(小田原流)(おだわらかつぎ)」。
民家や商店、地区の祭礼事務所・神社などに木遣りと共に神輿を担いだまま走るそうです。

小田原では、神輿の運行に「木遣り唄」は欠かすことのできないものです。当地の神輿には木遣り師がいて、木遣りによって神輿を動かすそうです。静止した神輿を前に木遣り師が木遣りを唄うと、担ぎ手はそれに合わせてハヤシを入れ、最後に木遣り師が唄い終わるか終わらないかの間合いで、担ぎ手は掛け声もろとも勢い良く走り出すようです。

さらに調べていくと、「木遣り」(きあり)は掛け声の持つ「霊力」と担ぎ手の「気」が一体化し、大きなエネルギーとなり神輿を動かす力があるようです。


話を天津の「木遣り」(きあり)に戻します。

いつか、大神輿の前で「自分でも詠いたい!」という願望があります。
そのためには詩を覚えなくてはいけません。

「木遣り」(きあり)が大変上手な方に聞いてみましたが、頭の中には約30の詩が入っているそうです。担ぎ始めは、めでたい詩や同じ詩を繰り返さないなど、暗黙のルールの中で詩を選びながら詠っているそうです。

それと色々調べて行くうちの天津の「木遣り」(きあり)は都々逸(どどいつ)ではないでしょうか?

これまた、ウィキペディアで調べてみると
「都々逸(どどいつ)は、江戸末期に初代の都々逸坊扇歌(1804年-1852年)によって大成された口語による定型詩。七・七・七・五の音数律に従う」とあります。

おまけに、
「都々逸はこれらの古い唄や他の民謡の文句を取り込みながら全国に広まった。
そのため、古くから歌われている有名なものの中にも
別の俗謡等から拝借したと思われる歌詞がみられる」ともあります。


「恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす」
山家鳥虫歌にも所収されているこの詩も、天津の「木遣り」(きあり)の中にあるのです。


また、興味深いかったのがこの「大島節(おおしまぶし)」。
東京都・伊豆大島・大島町の民謡なんですが、
天津 「木遣り唄」(きありうた)と詩が非常によく似ているです。
中には全く同じ詩も存在しています。

例えば、
「天津」:私しゃ天津の 荒浜育ち 波も荒いが 気も荒い
「大島」:私しゃ大島 荒浜育ち 浪も荒いが 気も荒い

「天津」男心と茶釜の水は 湧くも早いが さめやすい
「大島」:男心と 茶釜の水は 沸くも早いが 冷めやすい

「天津」:沖のかもめが もの言うならば 便り聞いたり 聞かせたり
「大島」:沖のかもめが もの言うならば 便り聞いたり 聞かせたり

「天津」:この家 ざしきは めでたい座敷 鶴とカメとが まいおどる
「大島」:ここのお家は 目出度いお家 鶴と亀とが 舞い遊ぶ

「天津」:めでためでたの 若松様よ 枝もさかえて 葉も繁る
「大島」目出度めでたの 若松さまよ 枝も栄えて 葉も茂る

「天津」:お前百まで わしゃ九十九まで ともに白髪の はえるまで
「大島」主は百まで わしゃ九十九まで ともに白髪の 生えるまで

大島も同じ天津も同じ漁師町。
地理的にもそんなに離れていないしどっちが先か後かはわかりませんが、同じ詩が存在して
いても不思議ではありませんよね。房総地区には祭礼毎にいろいろな「木遣り唄」があると思います。

それでは、ここで天津の「木遣り唄」の一部をご紹介いたします。

何と皆様(エーなんだホイ)
たのみがござる(アラ~ヨイヨイ)
エンヤなコリャリャの(エーなんだホイ)
声をたのむ(ソラヨオーヨオーヨオヤセイ)
(担ぎ手がみんなで声をかけます)

ただ、神輿の先生の情報によると「エーなんだホイ」は誤。
「エーなんだこりゃ」が正しいようです。何故か今は皆がホイと言うようになってしまったようです。



■めでたいことを詠ったもの
何と皆様 たのみがござる エンヤなコリャリャの 声をたのむ
そろたそろたよ 若衆がそろた 稲の出穂より よくそろた
この家 ざしきは めでたい座敷 鶴とカメとが まいおどる
めでためでたの 若松様よ 枝もさかえて 葉も繁る
今日はうれしや 皆さんと一座 明日はどなたと 一座やら

■男女の仲を詠ったもの
思い出したら 又来ておくれ 恋の花咲く 天津の港
男心と茶釜の水は 湧くも早いが さめやすい
天津港は 遠浅なれど なぜにあの娘は 岸深い
信州信濃の 新ソバよりも わたしゃお前の そばが良い
色で迷わす 西瓜でさえも 中にゃよくろの 種がある
恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす
梅も嫌いよ 桜も嫌い ももとももとの 間(あい)がいい
咲いた桜に 何故駒つなぐ 駒が勇めば 花が散る
色が黒くて もらいてなけりゃ 山のカラスは いかず後家
立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は 百合の花
一度見せたい あの娘の前で みこし担いだ 晴姿
男度胸と 桜の花は 咲くも花なら 散るも華
夢に見るよじゃ 惚れよがうすい 真に惚れたら 眠られぬ

■夫婦の仲を詠ったもの
わたしとあなたは すずりとすみよ すればするほど こゆくなる
旦那大黒 女将は恵比寿 できたこどもが 福の神
私とお前は 羽織のひもよ かたくむすんで 胸に抱く
お前百まで わしゃ九十九まで ともに白髪の はえるまで
ふいてくれるな 夜中の嵐 主は今夜も 沖どまり
月はまんまる 出て居るけれど ぬしにょあわなきゃ 夏のやみ
抱いてねてさえ 話がのこる まして格子の 内と外
けんかしたとき この子をごらん 仲のよいとき 出来た子だ
うちの亭主と こたつの柱 なくてならぬが あって邪魔
白だ黒だと けんかはおよし 白という字も 墨で書く
送りましょかよ 送られましょか せめてあなたの そばまでも

■親、子のことを詠ったもの
私は竹の子 まだ親がかり とめたいすずめも 止められぬ
親の意見と 冷たい酒は すぐに利かねど 後できく
親の意見と なすびの花は 千に一つの 無駄もない

■地域を詠ったもの
お国自慢は  数々あれど  天津の神輿は  日本一
私しゃ天津の 荒浜育ち 波も荒いが 気も荒い
安房の清澄 妙見ごよし まつがきらいで すぎばかり
私の心と みねおか山は 他に木のない 松ばかり
天津港に 灯台あれど 恋の暗路は 照らしやせぬ
天津港に どんと打つ波は 可愛好いあの子の 度胸だめし
明日はお立ちか お名残りおしや せめてよ天津の 駅までも
房州天津 一度はおいで 海あり山あり 情けあり

■海のことを詠ったもの
沖の暗いのに 白帆が見える あれはよ紀の国 みかん船
沖の大船 いかりでとまる とめてとまらぬ 恋のみち
沖のかもめに 潮時きけば 私しゃたつ鳥 波にきけ
沖のかもめが もの言うならば 便り聞いたり 聞かせたり
船のみよせに うぐいすとめて 明日も大漁と 鳴かせたい
潮来(いたこ)出島の まこもの中に あやめさくとは しおらしい
港でたなら おとこの世界 板のいちまい ふねの上
泣いてくれるな 船出のときにゃ 沖でろかいが 重くなる
沖に見えるは いわしかさばか 早く来てみろ あれは色いわし
沖の暗いのは いなさか?か からすねこかよ めが光る
今宵一夜は どんずのまくら あすは船出の 波まくら
押せや押せ押せ 二丁呂で押せば 押せば港が 近くなる

■粋なお色気を詠ったもの
山のあけびは 何見てひらく 下の松茸 見てひらく
入れておくれよ かゆくてならぬ 私一人が 蚊帳の外
入れておくれよ ぬれるじゃないか 主のさしてる かさの中
色で貸した金 アヒルの卵 かえす気持は さらにない
せがれどこ行く 青すじたてて 生まれ故郷に 種まきに
へたな剣術 のろまの夜這い いつもししないで たたかれる
色の黒いのを なじみにもてば カラス鳴くたび 思い出す
お月様さえ 夜遊びなさる まして若衆は むりわない
お月様なら さかりわ十五 わしのさかりわ いまじゃやら
あねさん木登り 下から見れば 大工墨つぼ 下げたよだ
色気づいてから 何食ってみても おそそしたよな 味がない
抱いてねてくれ まだ夜は明けぬ あけりゃよ夜明けの かねがなる
石になりたや 風呂場の石に おそそなめたり ながめたり
つねりや紫 くいつき紅 色でしあげた この体
あなたその様に 元まで入れて 中で折れたら どうなさる
ゆうべしたのが 今朝まで痛い 二度とするまい 箱枕

■その他
箱根八里は 馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川
いざり勝五郎 車に乗せて 引けよ初花(はつはな) 箱根山
ネコのケンカと 五月の節句 勝負は 屋根の上

■鳥居引き(二十年に一度の祭礼行事)
杉の鳥居は 神明神社 ひけよ皆様 やしろまで
そろい浴衣に おどりやうたで ひけよ皆様 大鳥居
嫁も姑も 手をうちならし 天津千軒 ひく鳥居
天津駅より 神明さまへ ひけよ若衆 大鳥居



追伸:先輩から教えていただき修正しました。

色で迷わす 西瓜でさえも 中にゃよ黒い 種がある
 ↓
色で迷わす 西瓜でさえも 中にゃよくろの 種がある

解説:苦労と黒のをかけているので、「くろの」が正しいそうです。
先輩、ありがとうございます。